はじめに
ミャンマーにおける表現の不⾃由
本事業は、現状の困難な状況下における個々のアーティストの表現活動のあり⽅を検証することで、ミャンマーの⼥性像に着⽬しながら、ミャンマー(広くはアジア各国)における表現の⾃由を捉え直す。また、⽇本国内のジェンダーアンバランスについても⾔及し、⽇本とミャンマーにおける「当事者」としての「共通の課題」について合議の回路を開くことを試みる。本事業はこれらの問いを、滞在制作+インタビュー、展覧会開催、オンライン+会場でのハイブリッドシンポジウム開催を出発点として、議論を深めながら、諸分野に拡張するものである。ミャンマーにおける現代美術は、1980年代の⺠主化運動や2010年代の軍事政権後の数年間の間に、幅広い世代間で爆発的な広がりを⾒せた。しかしながら、2021年2⽉1⽇の国軍によるクーデターにより、⺠主化の中⼼にいたアウンサンスーチー国家顧問らの⺠主的に選出された国家リーダーは拘束され、その後に湧き上がったSpring Revolution「春の⾰命」、または、CDM(Civil Disobedience Movement)「市⺠不服従運動」と呼ばれる動きに対して、国軍が武⼒⾏使し、妊婦や⼦どもを含む⼤勢の市⺠の命が奪われる事態に発展している。平和的な市⺠の抗議デモに対しての国軍の⾏為は許されるべくものではない、とする平和的な抗議は、アーティストを含む表現者たちが不当な拘束や拷問、殺害されるまでの事態となっている。ミャンマー国内での表現活動は厳しく締め付けられ、詩⼈、俳優、映画監督、アーティストの多くが弾圧されている。⾃由な表現発表の場や制作の⾏き場が無くなってしまったアーティストたちは、どこへ向かえばいいのだろう。
プロジェクトの始まり
本プロジェクトは3年ほど前から、匿名の⼥性たち- 私は当事者ではないというタイトルの展覧会としてミャンマー国内での開催を⽬指して計画されていた。Zoomを活⽤した定期的な個⼈・グループ討論を通じて、制作に向けたリサーチ、共同作業をする「当事者」コミュニティや個⼈との対話の繰り返しのプロセスを進めてきた。「Anonymous(匿名性を持った)Women(⼥性たち)」とは、アーティストである彼⼥達⾃⾝であり、被写体となるミャンマーの⼥性たちである。被写体としての⼥性像は、他者としてのアーティストの主観により成⽴する。故に、被写体の個性がより鮮明なほどに抽象化し、「被写体の彼⼥達⾃⾝が知る本⼈像と異なる様」が明らかになるという修辞的なジレンマとなる。それでは、彼⼥たちが⾃分⾃⾝を被写体とした場合はどうだろうか。その場合には被写体としてもアーティストとしても当事者であるが、その⼆⼈の当事者は同⼀⼈物⾜り得るのであろうか。本事業では、彼⼥たちは描かれる側の客体・被写体であると同時に被写体を描きあぶり出す側の主体・当事者でもある。ここで、『Anonymous Women(匿名の⼥性たち)』という冠を設けることで、主体と客体は反転、または不明瞭となり、他者の参加を可能とする。この時、「私は当事者ではない。」と⾔っているのは誰だろう。
ミャンマーにおける匿名性の意味合い
2022年2⽉1⽇の国軍によるクーデターにより、本プロジェクトは根本から⾒直しを迫られた。ミャンマー国内での展覧会開催は絶望的となり、本事業参加のアーティストたちにとって、特にミャンマー国内での⽇常の表現活動の継続は⾝の危険と隣り合わせの極めて厳しい状況にある。 「匿名」という⾔葉の意味は変容し、とても重くのしかかる。この状況に活路を⾒出すためには、世界的な世論の形成と継続的なミャンマーへの⽀援が不可⽋であると⾔えるだろう。本事業では、彼⼥たち「匿名の⼥性たち」本⼈の貴重な⽣の声に⽿を傾け、表現活動の継続をサポートすることを主な⽬的とし、 ⽇本国内からでも「私も当事者である。」というスタンスに⾄るにはどうしたら良いのか、複数層のネットワークを形成しつつ考えていきたい。
(武⾕⼤介)